歴史

東京横浜独逸学園は東アジアに現存するドイツ在外学校の中で最も古い学校です。1904920日に日本で初めてドイツ学校が横浜の借家を利用して誕生しました。3国籍9名の男女生徒が在籍していました。

学園は、2回にわたる大火、19239月の関東大震災、2度の世界大戦、そして2011年の東日本大震災等の壮絶な歴史の中で、校舎の移転、再建そして休校を余儀なくされました。学園の存続が危ぶまれることもありました。

19539月に改めて東京独逸学校協会が発足されました。第2次世界大戦後は1953121日に初めて17名の生徒で学校が再開されました。既に1960年に初めての高校卒業資格取得者を輩出しました。19671123日に東京都の大森に新築した校舎へ移りました。そして東京独逸学園はドイツの状況に見合った、教室を兼ね備えた自分たちの校舎を持つ本当の意味でのドイツの学校になりました。日本とドイツの関係が深まる中1970年以降生徒数は急激に増加し、再び校舎が手狭になりました。そして横浜市都筑区仲町台の新校舎建設に着手することとなりました。東京横浜独逸学園は現在も校舎のある横浜の地に再び移転し、最新の授業コンセプトを提供する現代的な学校になりました。

横浜での授業は19919月に450名の生徒で開始しました。一時的な生徒数減少の後、生徒数は再び急激に増加し、2010年には校舎の4階を増築することとなりました。2011年の東日本大震災の際には校舎の損傷は免れましたが、多くの家族が帰国した為、生徒数は激減しました。現在はこの危機を脱し、生徒数は500名の記録を超え、学園はさらに現代化されています。

現代化された東京横浜独逸学園ですが、長い歴史に亘り貫いてきた、学園は人と人、文化と文化を結ぶ場であるという責務を担い、これからもその姿勢に変わりはありません。

東京横浜独逸学園の歴史